あすぺる樹の付゛録 あすぺる樹の不思議な世界へようこそ!!
思い出の味
2017-11-17 Fri 07:57
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冬になると・・・・。 1988年に ベルギーで就職し働いていたころを思い出します。

ベルギーは 緯度が高く 東京などは 北緯 36度くらいなのに対し 

ベルギーは 北緯 50度ほど。

 何が違うのかというと それだけ北極圏に近いということ、 わかりやすくいうと

 
     夏は  朝 3時には 明るくなり、  夏の夜は 11時まで 明るい。

 逆に

    冬は  朝 11時まで真っ暗。  冬の夜は 夕方4時には 真っ暗。


(  日本は冬至  夏至 に向かって 一日 約1分ずつ 季節、日照時間が移る。 )


 当時、20で ベルギーに渡った私には 欧州での生活は 未体験のことばかり。


生まれて初めて聞く  フランス語の日常会話・・・。


  欧州では  建物の 階  の数え方が違い


 日本の1階は 0階 、   2階は  1階  、 3階は 2階 となる。


 「 ここは 1階ですよ。 」  という事で うっかり 窓から 飛び降りれば


      その違いを 体感し  習得できる。


  生活習慣も  文化も、  人間の持つ 価値観も。


   日本のそれとは 全く違う世界でした。

 
 帰国し 25年以上 日本に暮らし   欧州での生活の想いでは

  
  まるで 海岸の砂浜に作った 砂のお城が 波で さらわれてゆくような・・・。


   風化して  だんだん 消えてゆくような 思いですが・・・。


 数年に一度 我が家に滞在しに来てくれる 20歳年上の ベルギー人の友人の

  存在 ( 神のご加護 ) によって、 私の欧州での思い出、 人生の時間は

 蘇り  復活し   今も 心の中に とどめることができております。

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よく 


 「 欧州での 思い出の食べ物は何ですか? 」  と 聞かれますが・・・。


  もちろん  お金を出して食べる 飲食店の食べ物も いろいろありますが


  やはり  日本もそうであることは変わりはありませんが、


    家庭で ふるまってもらった  家庭料理が 何よりの思い出です。



 先日も お客さんと 話をして  「 そうなんだよな~。 」  と思ったこと。


 「 田舎の おばあちゃんちで 出された 煮物や漬物、 何とも言えない

     おいしさ  安らぎの味 があるんだよね。 それが 楽しみで

   また  行きたくなる。 会いに行きたくなる。

  でも  不思議でさ、  “ すこし持っていきなさいっ! ” って

  お土産にいただいて 自宅に帰ってきて、  “ さあっ! ”  と


  思って 食べても  全然味が違うんだよね。 なんでだろうね。


   味は同じでも、  そのおばちゃんの姿や、 おばちゃんの家で食べるから

    言葉では わからない そのおいしさが 感じられるんだよね。

    不思議だよね。 」


                   って 言われ 強くガッテン しておりました。


   みんなそうですよ。  すべてそうですよ。  何もかも。



   今の日本人は  心を失って  モノに 依存するようになったんじゃないかな。



  心で感じる  味を 失い、  


 お金さえ払えば 得られる程度の

  「  科学的根拠のある 味 」  にね。



 20年ぐらい前に  不祥事を起こす前の 善光寺 大勧進の


     小松さんが 日本の社会の在り方を こう語っておりました。



  「  モノで栄えて  心で滅ぶ  」



     日本の伝統文化が 残る 地方に暮らす私が求めるのは


      『  日本人らしく 生きられる事。 』


                     ただ  それだけですね。

 

(   こんなことを書くと  ぶっ飛ばされそうですが・・・。

  当店の スパゲティー グラチネ。

  和食中心の 当店で  「 なんで スパゲッティ? 」  って?

    説明しても  説明つかないですよ。


   でも  これは私が ベルギーで 良く通っていた ビストロの 思い出の

        一品!

  私が ベルギーに 行きたい理由は  ただ これを あの店で食べたい!


        たったそれだけの 根拠でベルギーにまで行く理由は

         元祖の姿を 継承、確認に行くこと。


   それは  チマチマした  たてまえ  。


   「  日本で 他に食べられる店が 1件もないから 自分で作るしかない。 」

           
             これが本音です。



      『  あくまでも自分が食べたいから。 』



         その理由は  あすぺる樹の 存在自体にも 一致します。



   ある意味  あすぺる樹は・・・・。



        自分にとっての



       単なる      『  ノアの箱船 ⛵  』


            

             理由なんて  単純で  シンプルなものです。



 仏教も  キリスト教も  イスラム教も  じつは 原点はシンプルなんですよ。

   同じなんですよ。



  それが  だんだん  いろいろな思惑を  人間が持ち込んで


       複雑にしてしまったんですよ。


 (  どの宗教の  宗派対立が すべて そうであるようにね。  )



        まあ  100億も 人間が暮らす地球ですから



       いろいろな  感情がありますからね。



  大きいように 思わせていても


       実は 小さいのが


     人間の  金玉  ですよ。


      ( あっ!  肝っ玉  という 意味ですよっ!  )


       どんな分野でも  全く同じです。


  
( 1993年 7月31日に亡くなられた ボードワン国王の妻 元王妃 ファビオラさんが

  2014年 12月 5日に亡くなられ 3年となります。

お二人には お子様がいなかったため、1993年 ボードワンの弟 フィリップが王位を継承

 2013年 フィリップは 王位を息子に継承させ 引退。

 2014年に ファビオラさんが亡くなられた時、 美智子様がお一人で葬儀に参加された。 

 昭和天皇も  皇太子時代の 大正に ベルギーを訪問。

 以降  ベルギー皇室と 日本の皇室の 深い絆で結ばれている。  )



 (  中世の時代から 他国の侵略と 支配に翻弄された ベルギーの地。

  しかし そこに暮らす人々は度々支配者が変わり 時代に翻弄されながらも

   「 自分たちのアイデンテテイ 」 は 決して失うことはなかった。

       “ 死の危機の中にある時ほど  生きる力は強くなる。 ”


     多文化のまねをし  コピー的 経済発展を良しとしない


   ( ベルギービールは まさに ベルギー人気質の結晶。

         まねをする事よりも オリジナルを探究する。  )


        その姿に 私は 常に 敬意 、 尊敬の念を感じる。


      ベルギー人には 人間の心の奥底に

      決して  譲らない 信念がある。 


   それは日本人の私にとっても

      人間として 見習いたい部分である。 )



 日本人は 日本の文化の長所や 誇れる本質を知らない。


      ある意味 当たり前すぎて 自分が日本人であることに

    
               気が付いていない部分がある。



   たった一人  多民族の社会の中に 身を置くことで


    初めて自分が何者なのかに 気が付くものである。




      動物園の サル山の サル社会以外の  社会経験も


    ぜひ若者には  体験してもらいたい。



  おのずと  遺伝子の 血が騒ぐはずであろう。

  

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ステップ  バイ  ステップ
2017-11-13 Mon 06:22



寒い日には 暖炉に 火が入るようになり

  本来のあすぺる樹の  雰囲気に なってきました。



   (  冬になると 欧州 ヨーロッパで暮らしていたいたころを 思い出します。

      あわただしい時間の流れを 忘れ、 暖炉の火を 眺めながら

          あすぺる樹でのんびり。)


 今年は 6月に フィンランドから 知人家族が訪問してくれました。

9月には エジプトの友人が 3年ぶりに やってきました。

   私が一つ言えることは  「 人類も 神様も 皆兄妹です。 」

 

 <   ここで 2013年ブログ を 紹介。>


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ホイットニー ヒューストンの 曲の中で

  「  ステップ バイ ステップ 」 という曲があり たまに仕事を始める時に

 聞いております。



    ステップ バイ ステップ ~♫

           デイ  バイ  デイ ~ 🎵


 人生は 日々  日々  日々の 積み重ねです。


  「   人生は 自分が向いた方向に 進んで行く。  」


      自分を 見失わなければ  大丈夫です。



    「 日々に感謝  」    シンプル イズ ベスト を胸に。




 2013年のブログ  記事から。




がんばれっ!  日本の若き 人々!


               ( 2014年 秋の  ブログ記事より )



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人生 には  人それぞれいろいろなことがあります。。

   10代のころ  20代のころ    30代  40代 50代

    考え方も変われば  目で見たものの  心に映る  感じ方も変わるもの


   立場や  環境  年齢を重ねる自分と   変わりゆく 現代社会・・・・・。


       時には 時間を忘れ   星空を見上げ・・・・・。


  何億年も 変わることのない 時間の流れを  自分の心の中に

         感じることも   大事なことだと思います。



       おのずと   “ 自分は なんなのか ”  が 見えて来るでしょう。


人生は 日々  日々  日々の  積み重ね



      ステップ  バイ  ステップ   です。


継続は力なり    持久力です。  




ただ今 アルバイト募集中です。

    土曜日  日曜日  夕方から 働ける方。

                       お待ちしています。

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1989年 ギリシャ  デロス島にて。

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カッパドキアでの 出会い  ( アナトリア )

1944年 6月6日  ノルマンディー上陸作戦 ( D- DAY ) から  70年でした。

           月日の流れは  早いものですね。

                    ・・・・・・・・・・。

    

  ベルギー人の友人 とは 25年の付き合いになる。


  知り合ったのは 1988年 。 月日の流れは速いものである。


 ( 友人 ミッシェルは 2004,2007、 2010年と あすぺる樹に

      毎回 数週間 滞在しています。 )


昨年、 友人 ミッシェルの 母が 90歳で亡くなり 追悼のため


  我が家は  3人で ベルギーを 訪ねた。

   (  2013年  7月   )

 
   わたしも 2006年以来  7年ぶり 。 家族3人での 訪問は


                  今回が初めてとなった。




  実は  今回の 航空券、  破格の 値段であった。



   1月に たまたま見つけ  1か月前までなら キャンセルできるからと


          とりあえず  予約をした。



  「  まあ こんな金額では 普通手に入らない。 行くか行かないかは 

     間際に考えよう 。 」


     そんな 安易な 考えで、 行くか行かないかすら


              本気で考えてはいなかった。



      夏休みの 7月末の チケットは 通常は 一番高い時である。



      友人には 4月ごろに 連絡をした。


  「 もしかしたら 家族で 夏に そちらに 行くかもしれない。 」



   「  ヨシアキ・・・・・。 いいところに 連絡をくれた・・・。」




    虫の知らせであったのか・・・・。



  「  実は 母が今危ない 状態だ。  ここ数日 もつかわからない・・・。」





  彼の お母さんは 90歳。  私も ずいぶんと お世話になった御恩があった。


    

     私が連絡をしたとき まさに  その時であったようだった・・・。




      なんとなく・・・。



実は 今回のベルギー訪問は  今思えば・・・・。

          “ お母さんに 呼んでもらった ”   ような気がします。


                 (  おかあさん   ありがとう。  )


     「 家族で ベルギーに 来なさい 。 娘さんも もう

                      飛行機に乗れるはずよ。 

                    家族で ベルギーに 。 」



                 と。







   お母さんは まもなく 天国へ 旅立たれた。


          元気だった姿が懐かしい 。




               ・・・・・・。





      夏休みに入り  いよいよ その日を迎えた。


成田発  エディハド航空。

    なんと 神のご加護であろう


  誰よりも 安い金額の 航空券の 家族3人だったのに

    航空会社の座席 調整に 協力し   気が付けば

        我が家は  ビジネスクラスに 乗ることになった。


 ( こうである。  我々の 搭乗する飛行機は 当初 成田発 21時 30分

    アラブ首長国連邦 ドバイの  アブダビ経由  ブラッセル行。

     ブラッセルには 現地時間で  13時 到着予定の飛行機であったのだが。

    チェックイン時に あらかじめ 我々を リストアップしていたようで、

  「  ご相談がありますので こちらへお越しいただけますか 」 と  別カウンターに

     連れてゆかれ

 「   21時 45分 出発の   カタール航空   ドーハ経由  ブラッセル行

     ブラッセル 到着 13時 30分 の 飛行機に 乗っていただけませんか?

   ご迷惑のかからないように すべて ケアします。    ただ

  ぎりぎりまで 調整が  どうなるか お待ちいただくことになるのですが。 」


                   と。


  「 ベルギーの空港に 友人が迎えに来る予定なので 変更を伝えておきましょう。

      電話を 貸していただけませんか。   我々は 問題ないですよ。

         喜んで その飛行機に  乗りましょう。 」


 ベルギー人の 友人にも  いずれかの飛行機になると 状況を伝えた。


    ただ  ぎりぎりまで 待たされた結果


 「 お客様  大変お待たせいたしました。 調整がようやく終わり

  申し訳ございません、最初の予定どうり  エデハド航空 ドバイ経由

   ブラッセル行に お乗りください。    ただし  座席の方が

    ビジネスクラスに なります。  」


               という内容であった。 )


   ( 待たされた時間は  航空会社から  成田空港内の

          飲食店で  使える  一人 2000円分の 食事券が

       支給となり   お寿司を  食べたでござる。

   娘は  回転寿司でない  お寿司屋さんは はじめてであった。)


             ラッキーであったのかは どうかは ただ 神のみぞ知る。



     私も生まれて初めてだったが・・・・・。

          飛行機初体験の娘は  生まれて初めて乗る飛行機が

               ビジネスクラスとは いいのか 悪いのか


  前日まで 忙しく働き その日も 早朝から 掃除をして出てきた

    我々夫婦は  フルコース そっちのけで

            180度 フルフラットで  速攻!  爆睡した。


          ( 成田発 21時   35分   )


 アブダビ経由で ベルギーに到着すると 飛行場では 彼ら夫婦が 出迎えてくれた。


    2010年 彼らが 冬の長野、 我が家に滞在し


     それから  3年ぶりの 再会となった。



          わたしは  運命とは



          自分の意志では 及ばない  不思議なものであると



             強く感じる。




              ・・・・・・。


 




ベルギーの友人 ( 65歳 ) の 家に 2日間滞在し  レンタカーを借りた。

 フランス国境近くの街  モンスに近い街に 彼ら夫婦は 住んでいる。


  のどかな 田園風景が広がる 小さいながらも のんびりとした 美しい街 である。


    わたしにとっては  世界中 これぐらいの 人口密度の空間が


           心地よく感じる。 


世界中で 共通し 感じることは 


   田舎にある  静かに流れる時間


      豊かな自然。


    自然から 時間をかけて生み出される  空気と  水。



そういう環境の中で 人々が太古の昔から時間をかけて 見つけ出してきた


       作り上げてきた  文化   食べ物。



    わたしは  国内でもそうだが  そういう文化に触れることが


 
         何よりの  幸せを感じる 。



日本から着いた初日、彼ら夫婦の家に向かう途中、ナポレオン ゆかりの地、


   ワーテルローの丘の真下にある カフェで 地元の ランビックを飲んだ。


    その国ならではのものは  やはり  その国の空気を感じながら・・・。



    その空気の中で  味わうと また 格別な 深みを感じるものである。


       


      真夏の 太陽の照らす ワーテルローの丘を 見上げた。


< 大正10年 皇太子だった昭和天皇は  この丘を登った。>


    ナポレオンの銅像に・・・。



     「 滞在を お見守りください。 」


             と  旅の ご加護を 祈った。



余談であるが・・・・・。


彼の家は  15世紀の 農家の納屋 である。


  といっても、 彼がその 「 廃墟であった建物 」 を購入したのは 45年前。

 ほとんど  タダ 同然の 物件であったそうだ。


45年前は 回りは 畑ばかりで  住む人も少ない 荒野であったそうだ。

彼はその家を ゆっくりと 自分の家として 修復を開始しながら 生活を始めた。



  だんだん 綺麗になってゆく喜び。  庭を造り  レンガを積み直し


   一つ一つを  思いを込めて つくりあげる喜びを 感じていたそうである。



   45年たった 今  まだ  彼の家は 未完成である。


     ようやく 母屋は ほぼ 完成したが  アンテーク修復家の 彼の作業場兼


    セカンドハウス は  未だに 未完成である。 



 だが 7年前と比べると


    見違えるほど  素晴らしい 建物に 変わっていた。

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(  2006年 スタッフと 訪問。 列車内では 強盗の ポーランド系 不良との

       死闘の 戦いがあったり  珍事の 毎日で、相変わらずの 神の試練でした。 )

 人助け
 
  ( こんな 見知らぬ現地老人を 手助けする 模範的な 日本人観光客でありました。 )

     「 今年は 冬が来る前に 大理石の 床を 完成させる予定だ 

         なかなか  人生と同じで 思うようには 進まないがな。

           あははっはhhっ!  」


   私は 彼が 40歳の時に 知り合った。 ご縁である。

  
    喧嘩もするが わたしにとっては 親友と呼べる 大事な 存在である。


     25年の 月日が流れ   私も 45になった。


 知り合ったときは 当時 40歳の彼を見て  ジジイだな と思ったが


     今の私は  すでに  あの時の彼の年齢を 越えている。




      中身は   子供  のままであるが・・・。


   ベルギーに帰ってくると  いつも あの時代に戻ってきたような気持ちになる。


      彼の住む 街は 静かに  ゆっくりとした 時間が流れている・・・。


静かに 流れる時間の中で  ゆっくりと焦らずに  作られてゆくもの・・・・。

   欧州の 田舎の人々の 生活を見ていると

  “   よいもの、 価値のあるものは 時間をかけてつくられる  ”

                      事を  体で感じることができる。

        
           文化も そして 人間の 心の在り方も。

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    彼の家の 現在。 ( 2006)


 
 46年かけて つくり続ける。



   まるで  人生そのものであるように思える。




           “  決して  急いで  つくることは  しない。 ”



                 しかし そこには  妥協もない。



   じっくりと 考え  。



          もちろん  お金をしっかり貯めて。




        そして  ゆっくりと  時間をかけて 作り上げてゆく。




   今年  そんな彼を  長年 見守ってきた 彼の たった一人の家族であった



          90歳の  彼の母親が  天国に旅立った。



                ・・・・・。

    7年前に わたしが 来たときは 温かく 迎えてくれた。


      その時は  2009年に なくなった 温和で紳士的な


              お父さんも 健在で


    近所の 爺さん仲間と  カフェで いつも 語っていた。


              ・・・・。


    父は  貫録と  威厳と  人を大事にする まるで


           ヨゼフ  の ような お父さんであった。


     おかあさんは   聖母マリア  のような 笑顔の素敵な お母さんであった。





    彼の名前は  聖 天使 にちなんで つけられた名前である。


 (  長野の我が家に 過去 3回 毎回 一か月ほど 滞在したことがあるが

     
        毎回  いろいろな事件が起きた。 神の仕業であろうか


        たぶん 面白半分の いたずら


      今思えば  わらえることばかりであるから。 )






  彼は   45年間  家を作り続けながら  生きている。


       仕事も  趣味も  人生の一部であるように


          家を 作ることもまた  楽しみの一つなのだ。


            そう・・・・。


                 人生は 一つではない。



    彼は  家と共に 人生を 楽しんでいるのである。



    「  よしっ!  次は こうしようっ!  」



 ( スペインの 大聖堂サクラダファミリア も着工してから 完成までは

      200年はかかるであろうと言われていた。 滞在記 スペインに 説明文あり。 )


  (  ドイツのケルン大聖堂は 完成までに 632年の歳月を 費やした・・・。)



   何事もなかったかのような 彼の姿ではあるが




         母親への  思いは  伝わってくるものがあった。





   「 それもまた  人生の一部だよ。  とても大事なね。  」






  わたしは 欧州人の  そういう 感性が  愛おしい。


    人生を  楽しむ 心がある。



  足早に 大きく変化する 世界所現状の中において


         本質的なものを  感じることができるのは ありがたい。



   欧州には  そういった  文化が  今も 人々の生活の中に


              生きている。



       安易な考えで  足早に変化する日本から来た私が



      いつも  幸せな時間を  感じる 場所でもある。




       そういう  空気を  自分でも  形にしたい。




      そう・・・。




           「  あすぺる樹 」 も  まだまだ



              未完成である。



          生き急ぐ・・・・。   つもりもない。







  そうそう・・・。


   話は変わり  彼の家から 3日目の朝  家族3人で パリに向かった。




  パリ訪問は 18年ぶりであった。



    やはり  日本同様  時代の流れを感じ  大都市ならではの


      増え続ける  人口  移民  民族宗教の 問題が 感じられた。




  混雑するルーブル美術館で こんなことがあった。



    ナポレオンの戴冠式 の 絵の前で  車いすの少女にあった。




   顔は青白く  痩せていた。  どんな難病に かかってしまったのであろう



     死期が 近いように思えた。



      母親が その少女を 車いすから 抱きかかえるように 立たせ



       2人で 絵の前にたった。



     父親が その2人の写真を 撮った。



   お母さんは うれしそうな 笑顔であったが  



      泣いているようにも  見えた。



      父親の姿からも   伝わってくるものを 強く 感じた。






   込みあう人ごみの中  ・・・。 


    多くの人が 絵画に目を向ける美術館で  その光景を 気にする人はいない。



   いつの間にか・・・。



  わたしは  その家族の姿から  眼を離すことができなくなっていた。




  ルーブル美術館にある  どんなに素晴らしい 作品よりも・・・・。



     その親子の姿に  こころを 奪われていた・・・。




   "  この家族にとって  最後の 家族の旅行になるのかもしれない‥‥ ”



     そう思ったとたん  その家族の思いが 伝わってきた。




   必死に 立とうとする娘  支える  母親。


      その姿を  残そうと カメラを構える 父親  ・・・・。 




          ・・・・・・。



    私は 家族の姿を見ているうちに



      なんともいえない  気持ちになっていた・・・。



     はっ  として。 



       気持ちを 強く持ち直し  迷わずに行動した。




   (   人生、 今まで 迷って 行動しなかった 後悔が どれほど多かったか。


            自分は  自分の人生を 良く知っている。 )




   (  だから  わたしは 迷うことは  もう  しないようにしている。)



    (  とくに  こういう場面では。   躊躇は 後に大きな後悔となる。)





  「  私が 家族3人を撮りましょう っ! さあ  カメラを 貸してください 」



   一瞬 海外旅行の場で 警戒心からか  その父親は


    初対面のいきなり声をかけてきた 日本人の私に


            半信半疑の 表情であったが



   (  私も 娘と  2人であったせいか )


   「  オー  センキュー  プリーズ  」  ( 頼みます )


      「  ユアー ウエルカム  」    ( 任せてください。 )
 



    親子 3人が  寄り添うように 絵の前に立った。



    カメラの  ファインダーの中には ・・・・。



   “  肩を寄せ合う  笑顔の家族 3人の姿があった。 ”



     私は  泣きそうになったが  こらえ続け・・・。



       「   もう5枚撮りますよ!  」



       そう言って  アングルを変え シャーッターを押しつづけていた。




  (    その姿は  仏教であれば  阿弥陀三尊 であり

         キリスト教であれば   マリア  ヨゼフ  キリスト  の

      聖家族  “ サクラダ ファミリア ”  のようであった。 

小さなことにこだわる  人間も多いが 人間は何かに見守られていなけばいきられない。

 神と呼ばれるものは  精神統一の手段に過ぎない。 読んで字のごとき

   精神は 自分の心のことなのだから。  地球が太陽にみまもられているように。 )





           ・・・・。



               
   
       今回  わたしが はるばる  ここに来た 意味、 役割を



                 感じた瞬間であった。




    鮭は なぜ 生まれた川に  迷うことなく 広い海から 戻ることができるのか・・・。


      冒険家は  何に 突き動かされ・・・。  危険の向こうにある


          見えないものを  目指すのか・・・。




       同じように  人生や  旅に  理由などいらない。



       それは  心が導かれ  行くものなのだから。





     「  なるほど・・・。  だから  俺は 生きてるんだな  」





この家族の  かけがえのない  瞬間を  映像として この世に 残せたことは


         わたしにとっても  うれしい  できごとであった。



    “ 偶然は  神様からの  使命である。 ”



         自分ができることを  すればいい・・・・・・・。




               それが  我、 人生である。


      

      今回・・・。


       自分が  何をしに来たか  気が付いた 気分であった・・・。




             またしてもか  ・・・・。



        次の 役割を  神様が   わたしに与えてくれるように 


           日々  日々 、  日々を  生きたいと思う。



     見えない日々の向こうに  あるものを  信じて・・・・・。



                 生きる。







   そして  また  誰かに 巡り合えるように・・・。



        


  “ サモトラケの  ニケ  ”  が  世界中から 美術館に訪れる人々を



    『 大きな翼を広げ 温かく 迎えるように  』



                            見守っていた。

P1130969 (768x1024)


  その姿は・・・。


    まるで  恐れることなく 飛び立とうとする・・・・。



      人類 一人 一人の   姿のように思える。



     

   世界には  その土地、土地に  長年  その地域の人々の


             暮らしを見守り




      人々が心の  よりどころにしてきた 神様がいる。




              ・・・・。



太陽系の天体たちが  46億年  太陽に 見守られてきたように・・・・。


   我々人類の歴史も  1万年ぐらいで どうこうという

         そんな  浅いものではない・・・・・。




 地球生命の  遺伝子の中には   皆  不思議な力が


                   宿っている。



 太陽は 今日も   そんな 生き物たちや 神様たち を 見守ってくれている。

   



  わたしは  どんな国に行っても  日本人として 礼儀をもって 行動することを



              忘れないようにしている。


     日本人としての  誇りでもあり   プライドでもある。



       



 
               そのおかげで




             いろいろな人々と



              今まで  出会う機会を



        多くの神様に 与えられたような 気がする。






         このブログを 見てくださった  方々にも




          「  神のご加護がありますように。  」



 (  人類 一人一人が持つ 遺伝子  DNA 。

     地球生命46億年の命の連鎖  こそが   『 神  』

       何じゃないかな~と つい最近気が付きました。

   大事なものは どこか遠くや 空の向こうではなく・・・・・。

           自分の心の中にあるものであると。   

    自分の心が かすんだり、曇ったり  腐ったりしないように

だからみんな  神社やお寺、教会やモスクで  気持ちを確認するんでしょうね。 )



              人生は   勇気と 共に。



                                  完。

              


 


                             店主  合掌 。



        皆様が  心豊かな  時間を過ごせますように。





心 静かに   生きましょう。
          


『 世界は一家  人類皆兄妹。  』


                                 ブログは これにて 終了。

                                          完


  心に 同じ周波数を持つ方は


     カテゴリー  「 夢 」   に 進んでみてください。


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シルクロード
2017-11-12 Sun 23:22


地球から1億5000万キロ離れた 太陽の光が

 約 8分後に 地球に到達。


 植物は 太陽エネルギーを 光合成し 命の源に変換することで生きています。




      遺伝子に 焼き付いた 46億年の歴史を感じます。


 世界中で 指導者たちは いろいろな思惑を抱いている世の中ですが・・・・。


          命に感謝して生きていたいものであります。


  清らかな精神は  自らの 心の あり方次第です。


     あまり いろいろなものに つき合わされず 健全に生きたいものです。





   


 ≪  2012年 6月 ブログより ≫


2012年 は 日中国交正常化 40周年の 節目であった。


1972年  日中国交正常化


  当時の中国首相 ・・・。 周恩来は  日本国民に 2頭のパンダ


    『 ランラン 』  『 カンカン 』  を  贈ってくれた。


 戦後 中国に 取り残された 日本人が ようやく 帰国するチャンスを与えてくれた。

(  戦後ようやく中国残留孤児調査が行なわれ  多くの中国に取り残されていた家族が

         ふるさと日本へ 帰国することができた。 )

 ( 戦時中の軍国主義の世界は  多くの人間を苦しめた歴史があります。
     日本も 反省しなくてはならない歴史です。 未来の平和のために。 )

・・・・・。

(   2002年  当時の日本の首相、 小泉純一氏は 北朝鮮を訪問した。

 この時 日中国交正常化 30周年であった 。

   小泉氏もまた  角栄氏の 『 直接会う事 』 の意味 を 理解していたからこそ

       歴史に名を残す  外交を 達成した。


田中角栄の中国訪問、   小泉氏の北朝鮮訪問、


「 日本の首相 田中角栄が  直々に 訪ねてくる。 」 のであるから、


  国際世論の中でも当然  悪い気はしない。  


 断る理由も 見つからないであろう。


  しかも  国際世論が 注目しているとなれば


     当然 迎える側の国の 姿勢や 対応も 問われてくるものである。



    手ぶらで帰らせるわけにはいかない立場の 当時の 中国は

           日本人残留孤児の返還と  国交の 記念を授けてくれた。


  北朝鮮の場合も  同じであった。

 

 ( 小泉政権では 田中角栄の娘、真紀子を入閣させた 小泉氏の思い。

 30年後 父の築き上げた外交の場、 外務省の大臣に任命された真紀子であったが

  どの省庁も同じであるのと変わらず・・・。 真紀子も 当時 マスコミへのインタビューで

  「 今の外務省は  伏魔殿 のようだ。  」  と 怒りをあらわにしていた。

 19世紀 各国の探検隊が 略奪目的で

   エジプトやインド、  中国の遺跡から ハイエナのごとく 財宝文化財を持ち去った

 のと 同じような状況を 語っていた。

  海外に逃亡した 外務省官僚に対し

 「 盗人に 追い銭 だ 」  と 真紀子さんが 激怒していたのを思い出します。  )


どこの国よりも 国民総生産額 ( 国民が稼ぐお金の額。) は 多い国でありながら

 良い思いをしている 連中に 吸い上げられているのも 日本の現状。

 議員年金やらなんか  天下りで何重にも 給料、退職金、役員報酬を

  国民から集めた財源 税金を財源に されている。

 議員年金なんかは  

「 財産を持っている人間 、 生活になんら困ってもいない人間 」

      に 手厚く 支給されているから 、 本来 本当に必要としている

 国民には なぜか  回されることはない 不思議がある。 

  森〇学園  〇計学園 問題も ありがちな悪代官の 姿の

   氷山の一角にすぎない。  )



 すべての時代劇のストーリー が そうであるように

  いつの時代も 集めた年貢を 私物化するのは  代々引き継がれた文化。

  舛添さんにも 慎太郎にも   国民は同じ姿を感じたはず。  ) 


 <  はいそこまでっ!  あまり書くと 手を回されるぞっ!  >


                                  (  だね。  )



ただ 本来は 外交を志す  志を持った 人間もいたからこそ

 
 『 今の日本の文化があるっ! 』   ことも


  私はぜひ!  日本の 若い国民にもしってほしいっ!


  本来であれば  誇り高き  遺伝子を持つ 民族であることも。


    ( 恥ずかしくも 欲に目がくらんでいるのは 一部の人間だけです。 )



  その昔・・・・。



     命がけで 大陸の文化を学ぼうと 海を渡ってきた


            日本の  遣隋使  遣唐使 たちを


   大陸の持つ  広い心で  受け入れ   惜しみなく こころよく


           仏教や  多くの文化を   与えたように・・・・・。



 (   遣唐使として 海を渡った 日本の  「 道昭 」  。

     653年に中国で旅を終えた 三蔵法師と 会いまみえている。

      多くの教えを学び  日本に持ち帰り 今日の日本人の 価値観の

            基礎となっている 部分も多い。 )

     



  当時の 日本の首相 田中角栄の



       “ 事故を装い  殺されたとしても かまわない ” と


    北京に   政府専用機で 現れた  日本の首相の覚悟を



       戦争の歴史を  差し引きながらも こころよく受け入れた



                 当時の 中国国家主席



          大陸の大国  中国の    周恩来 。



 




 1972年



     日中の 国交は 長い断絶の 時間を終え


          再び 結ばれた。



   そして  日中共同で  テレビドラマ



      「  西遊記  」  制作が



             中国  シルクロードで 行われた。



                  ・・・・。



  ( 当時 日本テレビが 開局25周年の 記念事業として おおいに 力を入れた。


    夏目雅子  境 正明  岸部四郎  西田敏行  の コミカルな演技が


    一層 国民の 関心を集めた。  そこに映し出される  中国の

    広大な 自然  圧倒的な 歴史的建造物は 当時の国民に

     衝撃を与え  異国の地への 憧れを  抱かせた。  )



 米国バークリー音楽大学からの 留学を終え 帰国した  「 ミッキー吉野  」


    東京外国語大学学生  「  タケカワユキヒデ 」


    を 中心とした  ロックバンド



         『  ゴダイゴ  』



     ( 名前の 由来は  後醍醐天皇、  


go die go    "  生き  死に   逝く  ”  



         ゴッド < 神 >   と  エゴ を   i 愛で



結び  “  ゴダイゴ  ”  とも 言われる。  )




   ゴダイゴの歌う  英語の主題歌 は 


      戦中から 英語が 禁止されていた 日本国内では  センセーショナルな


            ものであり  ゆえに



    日本人にとっては  まるで  異文化の世界に 引き込まれる


              カルチャーショッック  であったに違いない。




 シルクロードを舞台に  展開される 


  ドラマ  「  西遊記  」


  説明するまでもないが   西暦 630年ごろ


    三蔵法師 が 孫悟空ら  従者を 従え インドの 天竺に向け


     シルクロードを  いろいろな思い、  出会い  苦労を


     乗り越え  精神修行をしながら  旅をする 物語。


(   荒廃した世の中を正すための 経典を求め インド 天竺を目指す物語。

                冒険譚。

   じつは  宇宙戦艦ヤマト の 元にもなっているストーリーであることは

         良く知られている。

   放射能で汚染された地球を甦らせるために、イスカンダルに 向かう 物語であるが

    現代日本の抱える問題に 非情に似ている。)


( 余談であるが  宇宙戦艦ヤマトが目指した星  『 イスカンダル 』。

 エジプトの アレクサンドリアは 中世 ペルシャの物語、伝説では

  その土地を イスカンダルと 呼んでいたことも 興味深い。

 その 真相については ネットでクリック、検索し 参考書や 知識人の

 言葉をうのみにする 世の中ではあるが  個人の 想像をまずは

   働かせて ぜひ 考えることの面白さを味わってほしいものである。

  私に言わせれば バーチャルな現代人の受けもの感覚が

   今の日本の  未婚、 少子化現象を 加速させてしまったのだと感じる。

  自分の直感で生きるという 野生を取り戻してもらいたい。 )


   その  日中共同制作の 「 西遊記 」  映像の 圧倒的 衝撃に  当時




     幼いながら    「  異国への  異国の 地への思い 」



        を  強く 抱かされた  私であった。




          ・・・



    人間の歴史、  人類の 偉大な遺産を 感じる思いであった。




  

   数万年前はもちろん 太古の昔から



       多くの 人々の 勇気の上に 築かれた 



         『 今  』    


         
        に  あらためて  深く  深く  感謝したい。




 余談ではあるが


     西遊記の 主人公   三蔵法師 。 日本の仏教も 大きな影響を受けている。


 西暦 602年  ( 600年という説もある ) 河南省陳留県に 生まれる。


    13歳で 出家。  27歳の時に  


      “ 荒れた 人々の 魂を 救済するための 法典 ” を 求め


        長安から インドに向け 旅を始める。



654年 遣唐使として 海を渡った 日本の僧 道昭は ( 奈良の薬師寺 を 開いた )


      長安で 旅から 経典を持ち帰った 三蔵法師に まみえている。


       ( ちなみに  道昭の 弟子が  行基である  )


   その 教えを 日本に持ち帰り  日本の仏教 文化の 源となっている。



    日本人のものの考え方  価値観 思想  感受性 論理感 ・・・・・・。


   三蔵法師が 求めた ものの考え方は 日本の 文化にも大きな影響をもたらした。


     現代  我々日本人の 精神の中にある部分も 決して無縁ではない。


       そう考えて  はるか 昔から伝わる 文化を考えると



        面白いものである。  




 ( 三蔵法師の遺骨   で  検索すると 日本との 意外な事実が ある。  )


   


『 シルクロード 』



シルクロードには 数多くの ルートがある。


    昨年 2011年  長野県民有志たちが 構想から 40年


   2007年からの  自転車 マラソン バイク  水泳  登山 による

    シルクロード横断を  終えることが出来た。



   約5年もの 歳月の記録 報告書が  あすぺる樹 に ある。


      店内文庫に あるので 見たい方は ぜひ ご覧あれ。




  さて  シルクロードであるが



   わたしも  恥ずかしながら  自動車を使い  1990年


   シルクロードの 西の 終着点 トルコを


    湾岸戦争下  4000キロの 旅をした。
Mar12_24.jpg
Mar24_26.jpg
Mar15_25.jpg


 ( 古代の人々が ラクダで 数百キロもの タクラマカン砂漠を 横断したことを思えば

   ガスコンロ  テント 持参 という 軟弱な 文明的な 旅であった。 )



    アナトリア地方の 荒野に  置き去りにされた  古代遺跡から


         わたしなりに   当時の人々の 思いを 感じ取ったものである。



 
三蔵法師も おそらく  訪問したであろう  アフガニスタンの 


      「 バーミアン 」 。


  当時の大仏の  姿を まのあたりにして


           何を 感じられていたのであろう・・・・・。


   千数百年 文明を 見つめ続けてきた  『 バーミアンの大仏 』



    三蔵法師も 見たであろう この  大仏は


    残念ながら  2001年   タリバンによって 破壊されてしまった。



  先日  偶然のご縁で  2000年に バーミアンを 訪問し 大仏を写真に収めた


     菅沼隆二氏の  写真集


   「 バーミアン大佛 最後の雄姿 」 を 手に入れることが出来た。



  当時 アフガニスタン は 政府  反政府、 タリバン  反タリバン


    そして  アルカイダ と  内戦状態にあり  バーミアンの地も


    海外メデアの 訪問は 一切許されていなかった。


      撮影などは まず考えられなかった。


    ゆえに  破壊前の  大仏の 映像は   貴重なものであることは


              言うまでも無い。



  当時の外務大臣 政務官   松浪 健四郎氏も こう語っている。


 “  わが国の 仏教文化と 深いつながりを持つバーミアン 。 あの 谷と 里と

    山々が 日本文化に大きな影響を与えた。 その最後の記録を残した

    菅沼氏の 努力に 敬意を表したい ”


                  

  菅沼氏は 教育委員を 退職後  60歳から


    “ 三蔵法師の辿った道  ”  を  訪ねる旅をはじめた。





    もちろん  一攫千金を狙った  カメラマンの 視線ではない。





  菅沼氏の  バーミアンの 写真集を 開いて  見て



    私は  あらためて  シルクロードの 意味を知った・・・・。



   東洋と  西洋の  交わる場所  シルクロード 。




  古代  ギリシャ神話の神々のような 顔立ちをした



     仏教の 仏像の姿を見たときに




   エジプト文明  ペルシャ文明 の中でも  やはり そうであったように



       あることに  気が付いた・・・・・。




アレクサンダー大王の インド遠征によって 古代ギリシャ文明の


   偶像文化  彫刻技術が  アジアの 神々の姿を


     形にする  表現する  文化につながった。



  古代ギリシャ彫刻のような  バーミアンに残る 仏像の姿・・・・。







  宗教は 権力の道具とされた 都合よく つくられた  時代もあったが・・・。


  
   日本の1万年3000年まえの 遺跡から  土偶が 出土している事実が


( 滋賀県 東近江市  相谷熊原遺跡より出土  国内最古 )


   裏付けるように・・・・・・。  人間は 原人であった太古の昔から



     太陽や  月   自然の中にあるものに 感謝し



          祈りを ささげ  命を つないで  生きてきた・・・・・。




太陽は  少なくとも  地球を含め  46億年以上



            太陽系の  天体を 照らし続けてきた。






   地球と  双子である  月は  地球の誕生から



              地球と離れずに よりそい




             お互いを 励まし合ってきた。




                 ・・・・・。





  人間が  作ったものも  素晴らしいのだろうが、



      ここ何千年 で  どうこう  という 浅い ものではない・・・・。




 
  心の中に あるもの。    それで  充分ではないであろうか。



我々の 命は  46億年を生き抜いてきた 地球生命の 魂、 DNA が


         
                   宿っているのであるから。




   それはまた 地球上に 生きる すべての 『 命 』 でもある。







   まあ  それは  心の中に しまっておこう・・・・。




  シルクロード・・・・。



  コロンブスも  新大陸を 目指したように



      人々は  未知の世界を  目指して  旅をする。






   『 旅  』  とは  


        『  心が 導かれて 行く 』  ものではないであろうか?




   古代  シルクロードを  旅した 人々も きっと



            そうで あったように・・・・。







   さてと!   これから  農作業が 忙しくなります。



     文明社会からは  離脱しています。



安易な 貨幣経済  情報化社会にも  見切りをつけています。


 
 あっち立てれば  こっちが立たない


       円高になればなったで  悲鳴を上げて

       円安になればなったで  いちいち 悲鳴を上げる。


              大事なものは  そんなものなんでしょうか?


    経済という 物差しが  『 幸せを 査定する 』  ようになってから

           人間の心の在り方は  変わったのではないでしょうか?






   自分の主張はするが  他人の立場では 物事を考えられない



             世界中がそんな 時代において



   わたしは  無の境地に 向かう  三蔵法師のように



 身勝手な 大人たちの 社会には すこし 見切りをつけ・・・。




  未来ある子供達のために

    「 学校給食用 」 の 農産物を 作る 生産現場の 見習いを

        8年ほど前から 店の営業の合間に 行っております。


IMG_5207 チーム 長野
IMG_5205 玉葱の苗 植え込み



 (  あすぺる樹は “ 欲深さのない庶民 ”  が集う  定食屋さんです。 )







50年後 100億人となる 世界人口。


        食糧難になることは  避けられないでしょう。



経済や 物欲 に 関しては 世界中  飽和状態ですからね。




    肝心な 自然環境、 食料生産能力   空気  水 は


          汚れ  無くなる一方 ではないでしょうか・・・・。


               まあ・・・。


            どうにもならないのが 世の中ですが。



わたしは  


    日本の子供たちの食料確保のために  日本の農業に 向かい合っています。
     


     「 経済さえ良ければ 」  とか 


        「 お金さえあれば何でも手に入れられる 」



          そういう  平和な時代が づっと続けば いいのでしょうが。





   そういうことを 考えて居られる日本は本当に 平和な国です。 


      私はただ    『 今 』  を 生きるだけです。


                                 完。



                      店主   合掌 。
               

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営業しています!
2017-11-11 Sat 07:45
当店 只今 店舗全面  外壁塗装工事中になっており 白いシートに覆われております。

数日 お休みをいただきましたが 営業を再開しております!



周りの山々は 白くなり いよいよ 里にも雪が降る季節が近くなってまいりました。


  皆さま 寒さ  風邪に気を付けてください。


 ( 当店、冬の名物 暖炉は 工事終了の20日ぐらいまで 使用できませんが・・・・・。 ) 


画像 118

           CHIMAY地蔵?

            
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無の境地
2017-10-29 Sun 08:41
最近は 本能的に テレビや情報に 目を向けなくなりました。

混沌とした世間よりも   シンプルな時間の流れを大切にしたい

 本能が 欲するままに 生きています。

 自分がいかに 凡夫な 人間であることを感じます。


 とはいえ・・・・。

 旧友たちが  人口1200万人の暮らす 大都市で 必死に働いているのと同様・・・。


 たかだか人口 4万人の小さな地方都市で暮らす私も


  日々 世間に折り合いをつけ  生活の糧を得る事は


 それぞれ  同じ思いに生きる 現代人に なんら変わりはありません。



 テレビや 情報の中で 騒がれる 流行りすたり・・・。

   それに 一喜一憂する世の中には  正直うんざりしますが



 今は  変わらず 時代錯誤でありながらも 細々と 営業する


 当店 あすぺる樹に足を運んでくださるお客様に ただただ 感謝する毎日です。


 「 あすぺる樹に来ていただくお客様が  あすぺる樹の お客様であります。 」


 それに尽きますね。  それがすべてです。


   深く  深く  深く  感謝申し上げます。



 私も 来年は 50歳の大台に 入ります。


     これからはイメージチェンジして

 “  無口で不器用な男。 長野の高倉健 ”  として精進してまいります。


 
 (   先日 70代の知人が  持ってきてくれた本

     高倉健さん著  「 あなたに褒められたくて 」 の中で

     “ 善光寺参り  ” という 一節 がありました。

      ものすごい  事実が 判明しました。 

     
    自分が  『 長野の高倉健 」 であることに 確信を持ちました。 )


                <  なにがやねん いったい どんなやねんっ!  >



 高倉健さん本人も イメージを崩さないために 一切 バラエテー番組や

   ヘラヘラとは  安易にメディアに出ることにはしない


    俳優に生きるプライドを大切にしつつ、  軟弱な 態度を拒む

   
    日本で最後の 硬派 俳優の 大御所でありました。



    日本人として  見習える 人生の 先輩です。
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