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あすぺる樹の付゛録 あすぺる樹の不思議な世界へようこそ!!
2000年の 時を超えて
2016-12-06 Tue 22:33
( 2013年 12月25日 、 ブログ記事より。 )

< 欧州での クリスマスの思い出・・・。 >


イエス キリストの死は 西暦 30年4月30日 午後3時ごろとされている。 

イエスは紀元前4年ごろ ベツレヘムにて 大工の父 ヨゼフ 母 マリアとの間に生まれる。

イエスが生まれると 3人の羊飼いや 

東方からやってきた 3博士がその誕生を祝いにやってきた。



 ヨーロッパでは クリスマスの時期が近くなると 街の広場には決まって キリストの誕生の場面を再現した プレザリオ ( 馬小屋で 母父に見守られ誕生する場面を再現したもの。)  が 作られる。

欧州人にとって クリスマスは特別な 文化、宗教的に重要な習慣でもある。

 それは 日本の  お彼岸や お盆などと同様に 古くから守られてきた 民族的な

      文化、 習慣でもある。


 欧州のクリスマスは  近所の 子供から お年寄り、 皆が キリストの誕生を祝い

   家族や 人々との きずなを 確認し、日々の 感謝を込める 行事でもある。


        それが 欧州のクリスマスの 文化である。

 

        そしてまた それは 現在・・・・。

 形や  とらえられ方は 違うかもしれないが

  『  幸せを願う  世界 70億人の人々が 共有する文化 』  とも なっている。



    宗教や 民族、  文化の違いの壁を越え


     世界中の人々のこころに  ぬくもりを感じさせることのできる


           人類の創りあげた  偉大な文化なのではないであろうか。




   『  人は 皆  母 父の 間に生まれた命をもって生きていることを再確認する 』



           そんな  文化でもあるような気がする。



  (  わたしも 自分自身が この世に生を受けた 誕生の日を 想う。

    父  母 、 自分の命の誕生を見守ってくださった 温かい愛に感謝する日。  

        欧州では  クリスマスとは  そういう 日である。 )


   現在では 世界には いろいろな宗教があり 数多くの神様が 存在すると


                  信じられている。


     『  信じる者は 救われる  』



     救いを求める人々の心の中に・・・。



            神は存在するのであろう。




イエスは 幼いころからナザレで街の ラビ( 牧師 )からユダヤの旧約聖書を学び育った。



 12歳の時 生まれて初めて父母に連れられ エルサレムの神殿に詣で 参拝した。


   しかし 彼がそこで見たものは 神聖な神への捧げものを 売買している商人や


    おごり高ぶった 位の高いラビたちを見て 深い疑問を持ったとされている。


( どの宗教も同じで  神や 仏に使えるために 出家したいのに

   先輩風を吹かす  上司や  勘違いしてる 連中の派閥の中に

    巻き込まれ  そんな くそっ! 人間関係に邪魔され


   今どきは   「  神、 仏  」  ではなく 「 人間不信  」  になり

     ぐれて道を 踏み外す 僧侶や 信者も 多いと聞きますよ。



 でも キリストだって 良い環境に恵まれ 良い人間に囲まれていたら

   それこそ 名を残すような  教祖に なってないと思いますよ。


 何も疑問を持たない環境であったなら


     名も知れない 片田舎の 念仏を唱えてるだけの

    温和で やさしい 小さな教会の 神父さんで 終わっていたと思いますよ。


  大岡越前やら  遠山の金さん、 水戸黄門だって


  桃太郎侍 だってですよっ!



    悪徳 代官やら  悪徳 あきんど、 性悪人間たちがいたからこそ


     名を残すような  活躍ができたんですよ。


  何にも 問題も起こらない  全員 善人ばかりの


   地域社会だったら  平和ボケして  ありきたりの 老人になって


          終わってますよ。



        って ことですよ。


     なんでも  同じことが 言えるんじゃないですか。


 プロレスだって 悪役がいるから  盛り上がるんじゃないですか?


 経典だって  聖書だって   似てる シナリオじゃないですか。


        何か 違うこと言ってますか?  わたし?


        たんなる  私が思うにですよ  )
 

                ・・・・・・。


                       < 余計な邪魔するなっ!  >



洗礼者ヨハネに出会ったキリストは


     あるべき正しい教えを 学びそののち布教活動を始める。


( なんだか  三蔵法師と 似ていますよね。 本質を求める 姿が。 )


  現在のキリスト教が  (  すなわち イエスが説いた教え ) 誕生するのは


               彼の死後  かなりの時を過ぎて後の事である。






   世界には 偉大な考えを導き出した人格者が 歴史上数多い。


     いつの時代も ・・・・


    バラバラな多くの人々の感情、 行き場に迷う 人々の心の在り方をまとめようと 

   
     考え やがて 導き出された 知恵でもあるような気がする。




  中国の 『 孔子 』  ( 紀元前 551~ 479年 )  や


 インドの  『 釈尊  』 ( 紀元前5世紀ごろ  ) なども



   意外と その教えは 単純にて 明快なものがある。




(  イスラム教や仏教、 メジャーな 宗教の原点にも同じことがやはり 説かれている。


日本の政治家の  各 派閥、  各 党団体 に 似た姿があるように

    宗教にも それぞれの  宗派や  派閥があるが


  実は  そもそも  宗教の  出所 は  皆 同じである。


    知られているように  キリスト教も  イスラム教も

         ユダヤ教に由来するのであるが そのユダヤ教の 原点も

         古い 人類最古の  一神教に  端を発するものである。

   日本の 1万3000年前の 相谷熊原遺跡 ( 滋賀県東近江市 ) 出土の

       土偶が  地中海文明の  古代文明の 土偶と 同じ姿であることは

          専門分野の 世界では 知られた事実である。


   その姿からは・・・・。


      太陽や  月、  大地を崇拝する 古代人の 姿が 見えてくる。   )


 各宗教の 原点は 実は とてもシンプルなものである。



   「 自分のしてほしいことを  他人にもしてあげる。 」


   「  自分のしてほしくないことを  他人に対して しない 」


        『  黄金律 』   である。


        シンプルなものにこそ 実は 本質がある事を 知ることができる。


  それが だんだん おかしなことになって  人を支配する 人間が現れ

    一時代を 築くのであるが

      やがて  行き過ぎた 格差社会文明は  民衆に 見はなされ

            亡び去った  歴史が  世界中に遺跡として残る。

  民衆を支配し  利用した  階級社会は  民衆によって 滅ぼされる。


  富を利用した王侯貴族や マリーアントワネットが  民衆によって

       ギロチン台に かけられたことは  知られた話である。

       


   エジプト文明や  南米のマヤ文明、 古代ローマ 文明が そうであったように


      最近では  ナチスや帝国主義、  カダフィや フセインを


        民衆が見捨てた  姿に 共通する。


  フィリピンの マルコス政権も  民衆によって 引きずりおろされた。


     キチガイが  暴走してゆくのは いつの時代も 同じようである。


      それは 事実、 歴史が証明している事である。


    栄枯  盛衰   とは  それも含めた  人類の歴史である。





 (  当ブログ  『 トルコ滞在記 6 』  に イスラムの文化の紹介もあります。 )


  1988年 12月 25日



     ベルギーで就労していた私は クリスマスの夜 街の教会のミサに 参加した。


     キリスト教は 欧州の人々にとっては 古くから

       人々の心のよりどころである。


  日本でも  仏教以外にも

   人々が 古くから  信仰し 心のよりどころとしてきた

         文化, 習慣、 風習  があるのと同じである。



 私は 欧州滞在時代 ( 1980年代 ) よく 教会に 参拝に行った。


  日本人が  神社を  お参りするように・・・。


    それは  洗礼を受けた キリスト教徒としてではなく


    同じ町に暮らす 日本人として 地域の人々が 長年心のよりどころとしている


     文化  神様に 敬意をもって あいさつに行く 気持であった。



 ミサの中で 多くの方が 神父さん、 聖職者の話を 静かに聞き入っていた。


 「  隣人を労わり 共に助け合い 生きていきましょう  」


     そう神父さんが 唱えると  参列者は皆、 回りの人々と 握手を交わした。



 見知らぬアジア人の私にも 回りの人々が何人も 笑顔で 私の手を取ってくれた。



     人々の 心の温かさを 感じ・・・。  涙した。


( “ 隣人 ”  とは  隣近所という意味ばかりではなく 宗教の価値観を超えた

      同じ地域に暮らす 多くの異教徒を含めた 地域社会に暮らす

         人間たちという意味である。  )




       その 温かさの中に 確かに イエス キリストの 姿を感じた。


  ( その 人びとの “ 心の温かさの中 ”  には 共通した 愛  があった。  )



    クリスマスになると あの時の


          人々の 手のぬくもりを 思い出す・・・・。


    あの人々は  今  どうしているだろうか。


 欧州の文化に暮らす人々の存在は 今でも 脳裏に焼き付いている。


   “ 人を思いやる心を持つこと ”  を 教えてくれた 恩人である。



    今日も その思い出に残る 人々の姿を思いながら



             十字を祈ろうと思う。



                   ・・・。



  世界中、 敬意をもって 接すれば どんな神様も 手を 差し伸べてくれるものである。




     ( だから 今も 近所の 神社には 新年早々 必ず ご挨拶に行く。)



        


    『  人類皆兄弟  神様だって 同じこと。 』




       偉大な  ヨハネパウロ 2世も おなじように 考えていたに違いない。


 (   ヨハネパウロ2世は  各宗教の代表に働きかけ 世界平和集会を 開催して

     人類の結束に 生涯をささげた。  当 ブログカテゴリー 「 ヨハネパウロ2世 」

                                   にて  )



        さあ今日は! 24日!


       メリー!  クリスマスっ!  人生に感謝し 楽しみましょう!
 





余談ではあるが・・・。



  今年  750周年を迎えた パリ  シテ島にある  『 ノートルダム寺院。」 


   「 ノートルダム 」  とは フランス語で   " 我々の母 ”


       すなわち  『 聖母マリア教会 』 ということである。




   キリストの 連れとされる 『 マクダラのマリア 』 は



             『  聖 マドレーヌ 』 。




 “ マグダラの マリア ”  を たたえる 寺院は


     世界中で  『 聖 マドレーヌ寺院  』  として



             崇拝されている。





    神とは  自分の 記憶 、遺伝子、  脳裏にあるもの・・・・・・。

          ある意味  自分自身でもある。



  自分 ( 神 ) と どう向き合い 生きてゆくか?


             行くべきなのか?



 それは ( 神 ) 遠い 雲の向こうにあるのではなく、 自分の心の中にあるもの。


  普段の行いを  神は見ているもの。


     他人はだませても   自分自身を  だますことはできない。


   他人に  正しい行いができない人間は

        同じことが帰ってくる。


     他人に感謝されることを  すれば  喜ばれる。


     他人にいやなことをすれば  自分もまた 恨まれ、憎しみを 受けることになる。




     神は  いつも  共にある。


      それは   姿、  形があるものではない。


            心の中に  あるのだから。




     それが自分自身という  神の存在なのではないであろうか?






     「 自分がしてほしいこと してあげる  」




      そうすれば  神様も  返してくれるのであろう・・・。



  「 自分が  “ なりたい自分 ” になるためには 何をしてあげるべきなのか  」




       誰も何もせず  


            「 神様に何かを与えてもらえたい。 」


          そう考える人は  キリスト教徒には いない。


       神は  その人の  行いを いつも

             『 見守っている 』    のだ。



    「 心の在り方。 」

        それが  すべての 宗教の 教えではないであろうか。

          


 
人間の権力の道具、 人間のエゴ にさえ ならなければ いずれの宗教にも

 
           壁は存在しないはずではないか。



  当ブログ   カテゴリーの中に 「 ヨハネパウロ 2世 」 があります。


        彼もまた ローマ法王という 狭い枠を超え


            人々に 語っている。




  たとえ どこの国を訪ねたときでも  その土地の  神様には 礼儀をもって

      あいさつすることだけは 忘れないようにしています。


       当然  文化 人々にも 敬意をもって 接するようにしています。 


    それが  「  誇り高き 日本人としての 使命 」 であると 思うから。




  (  ヒットラーや  カダフィ 、フセイン といった 独裁的な体制は

         民衆に 滅ぼされる 歴史を持っている事実がある。

    それは古代文明の中でも  同じように証明されている。

           カルト集団などと いうものもあるようだが・・・・。

     人間には  本質を見抜く  本能が ちゃんと 遺伝子に 備わっているのであろう。 

            長くつづくもの、  そうでないもの。

         いつの時代も  同じですね。

          

             自分の中にある  本能を 信じて 生きましょう。   )


           人生は  一度きり。

     

 追伸   2014年  10月 14日。       

(   今年で 8年ほどになりますが、当店  11月の頭に 5日間ほど休業いたします。

   毎日  小中学生が食べる 学校給食 5000食分の  農産物生産の 作業、

 毎年  冬前に 玉ねぎの苗 7万個分ほどの 植え込み作業があります。

  雪国は  本格的な 雪のシーズン前になると  冬支度で 大忙しです。

  未来ある子供たちのためにそんな作業もしております。

    一緒に作業してくださる ボランテア 募集! 

    自然の中で  食べ物を作るのは とても たのしいですよ。 )


庶民と共に  あすぺる樹

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